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四季自然建築アトリエ とうぎ建設・・・社長ブログ

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ホテルニューグランドの魔法 
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    ホテルニューグランドを知る 

    エドガーアランポー賞から出発した推理作家、山崎洋子さんのお話をまとめたものです。

     

     

    ホテルニューグランドは、関東大震災により全てが崩壊した横浜に新たなヨコハマのシンボルとして、1927年(昭和2年)にできたホテルである。昭和ヨコハマので要人を迎える迎賓館というコンセプトである。(ホテルニューグランドの歴史から)

    関東大震災で横浜の全てがなくなり、当時の号外新聞には横浜が復興するのはありえないから東京と合併されるらしい、とも出ていた。復興しないと判断した横浜の外国商社は、ほとんど神戸に移ってしまった。外国商社がなくなるのでは、港は復興しない。これでは横浜は衰退してしまうので、当時の政財界人行政が相談し、外国の商社がもどってくるように立派なホテルを創らなければいけない、という結論になる。そうして造られたのがホテルニューグランドである。官と民で造ったホテルで、税金が投入されている。いまだにホテルニューグランドは横浜市に家賃を払っているそう。


    ニューグランドの名称は公募で選ばれた。設計した渡辺仁氏は後に和光・日劇も設計している。ところでそれ以前より横浜にあったグランドホテルは外国でも良く知られていた位、外国人経営の豪華なホテルだが、グランドホテルとホテルニューグランドは全く関係がない。

     

    山下公園は関東大震災のガレキを埋めてつくった

     

    大きなエントランスの階段が、ニューグランドのシンボル。映画・ファッション雑誌・CMなどに登場する。日活映画の赤いハンカチ(昭和30年代)で、石原裕次郎と浅岡るり子が出演しているが、浅岡は貧しい家の設定。浅岡は大金持ちと結婚してセレブになった。で、この階段をパーティーのためにしずしずと上がってくる。当時観客はこのグランドホテルを上る浅岡るり子をみただけで「セレブになったんだ」という事がわかる位置づけであった。

     

    ロビーは東洋と西洋の美術の粋を集めた場所で、外国人は波止場から人力車に乗って、ニューグランドに入り先ほどの階段を上がると突然、東洋と西洋の和合した技術に圧倒されるという造りになっている。階段突き当たりの時計の上には、天女の刺繍があるが川島織物の当時のものが現存している。

     

    天平様式の吊灯篭、絨毯、カーテンの色はニューグランドブルーと呼ばれている。

     

    ロビーにある家具は創業当事からあるもので、横浜家具と呼ばれている。開港当事色々な国、様式の家具が入ってきたが、横浜の職人はそれを修理しなければならなかった。当事横浜には曲げ木や布貼りの家具はなかった。外国人に習い会得し、さらに日本の技術を付け加えたものが横浜家具と呼ばれている。

     

    5階にあるル・ノルマンディーというレストランは、豪華客船ル・ノルマンディー号のメインダイニングをイメージして造られたもの。1930年代に洋上の宮殿といわれた豪華客船で、海面からのメインダイニングと同じ高さで、ホテルニューグランドのメインダイニングも作られている。その高さから見る海がもっとも美しくヒトの目に映るといる理由だそう。

     

    バーのシーガーディアンは手すりが船と同じになっている。グラスなどが転がり落ちない配慮だそう。

     

    次回は、ホテルニューグランドが料理に貢献したお話です。

     

    ※詳しくは山崎洋子著「ホテルニューグランドの魔法」参照してください。

     

     

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