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今しかできない事を、今やりましょう

四季自然建築アトリエ とうぎ建設・・・社長ブログ

ながら運転・・・
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    難しい話が続いたので今日は柔らかい話です。

    ながら運転できますか?

    僕は大得意です。というか、ながら運転が好きです。

    学生時代は、郡山からいわきまでサーフィンしにいきました。
    片道約90kmの道のりを毎週毎週往復していました。
    朝5時に出発し7時に到着します。
    朝セブンイレブンにて朝食を買い、一刻もはやく海に着きたい
    ので車の中で食べます。

    おにぎりや、おでんを食べながら運転します。。。
    カップラーメンを食べながらも運転します。
    お行儀悪いですね。
    あるときは、僕が運転席で両手でカップ麺を食べ
    助手席の人にハンドルを握ってもらった事もあります。
    おおらかな いい時代でした(笑

    今朝はとても忙しかったので、朝ごはんが食べれず
    原付に乗って現場に行くのですが
    グレープフルーツを食べながら原付運転。
    皮をむいていない、玉のままのグレープフルーツですよ?
    皮をむきながら、原付運転・・・

    ヒヤッとはしませんでしたが、お行儀悪すぎです。

    クチの中にグレープフルーツを1/2個ほおばってる姿
    子供には見られたくないなぁ・・・笑


    | とうぎ自身の事 | 15:18 | - | - | - | - |
    あれれれ???(笑)
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      なんと言うか・・・
      この会社も若干のメンバーが変わりました。
      会社は人なり!! ということで、

      各々の名刺をホームページにアップしました。
      ここからトップページにとび、
      「みんなの名刺」をクリックしてくださいね。

      名刺といっても、生年月日まで公開した個人情報です。
      気をつけてください、顔写真もあります

      | とうぎ自身の事 | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      父の会社へ− 3
      0
        ハウスメーカーで現場を担当していたとき色々な大工さんに出会った。私が職人さんを鳶さん、大工さん、銅工屋さん、と○○さんと「さん」づけで呼ぶのは、ハウスメーカー時代に出会った大工さんからの影響です。

        「日常生活でお隣の人を呼び捨てにしないだろ。大工って呼ぶのは人を呼び捨てにしているようなものなんだ。」そういえば、なんとなく職人さんは世間一般にて簡単に見られているきらいがあるかもしれない。簡単に大工さんになれないし、左官屋さんにもなれない。現場で色々な経験を積んで初めて一人前になるわりには、尊敬を集める職人さんは一握りのようです。

        大量生産至上主義において、造る過程は関係なく結果が大事なこの社会において、人の手でつくろうが機械でつくろうが同じ物であれば安い方が良いという考え方であれば、当然そうなってしまうのでしょう。

        ちょっと待ってください、それでいいのでしょうか?良い職人さんがいなくなって良いのですか?良く考えてください。結果だけを見ているから、欠陥住宅という問題がおこるのではないですか?
        | とうぎ自身の事 | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        父の会社へ− 2
        0
          1990年、父の健康状態は悪くないように思えた。たてまえは「父の具合が悪いので・・・」という退職だったがバリバリ働いていた。が、実際には父は1995年に亡くなったのだから、この1990年は既に前立腺癌に冒され始めていたのだろう。

          当時の仕事内容はというと、ビル物が多かった。鉄骨骨組みでALC貼というスタンダードな工事ではあったが、時代が時代だったのだろう、工場建築・教会建築・倉庫建築・町内会館等当社としては比較的大規模な受注があった。このあたりは父の人望のなせる業でとてもじゃないけれど僕はそんな風になれない。

          人望といえば、OBの施主様には父のお客様だった方がとても多く、お会いすると「お父さんは良かったのにねぇ・・・」と言われてしまいます。う〜〜〜ん悪意があって言われてるのではないでしょう、「もっとがんばれ」的な励ましだと感じていますが。

          ただしですよ、ただし。父と比較されてもいいのだけれど、64歳の父と35歳の僕を比べるのはちょっと無理じゃない?って思うのですが。どうでしょう。
          | とうぎ自身の事 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          父の会社へ− 1
          0
            29歳になると父の体調が悪くなったので、家業を手伝うという理由で会社を退社。支店長にその旨を伝えると「おまえは十分返してくれたよ」と言われた。

            「新卒で何もわからず入社したての頃は給料分の働きが出来なく、お金を借りているような気がしていました。けれど今では少しずつ会社に返しているような気がします。」と喋った事を覚えていてくれたのだ。初めて暖かい言葉をもらった様な気がした。

            割合と忙しい会社だったので、ゆったりと休憩したいと思い退社したら3ヶ月程は雇用保険をもらって遊んで暮らそう。。。と1週間。

            「こら働け、おまえは手伝うために止めてきたんだろう。」しばらく遊ばせてもらうのは親子間の約束だったのになぁ・・・バリでサーフィンし放題だったはずなんだけどなぁ・・・釈然としなかったけれど、断りきれず働くことに。ここから大工の仕事他をする事になる。1990年のこと。
            | とうぎ自身の事 | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ハウスメーカーに勤める-4
            0
              売上を重んじる企業にとって家とは売る物であり、商品にすぎない。営業マンは次から次へと新しいお客様と契約し工務課に引き渡す。申し送り事項は完璧にできるはずも無く現場がスタートする。ハウスメーカーメーカーは契約至上主義で契約を何よりも大切にしている。

              契約が終わり現場が始まると、施主は(何だか今までと違うなぁ)と感じるのです。ハウスメーカーで家を建てた経験があるかたは少なからず心当たりがあるでしょう。

              それはそうです、今まで一生懸命に汗水流してやってくれた営業マンは、今や他のお客様との商談で大忙しなのですから。現場は監督にまかせておけば良いとなる。

              家造りとはソフトはもちろんのこと、実際に施工している時期をおろそかにしてはいけない。人から人への申し送りは施主様の言葉であると責任を感じなければいけない。もっとも家造りの理念がいくら立派なものでも、社員に浸透しなければ意味がないのでモラル、とか人柄の問題かもしれません。

              現代の家造りは一昔前と違い会社の進展とか利益とは無関係な、ハートとか根本的な思想など施主のちょっとした心配を埋める物も必要になっていると考える。偉そうな事は言えないが、家を「売り買い」と勘違いし続けるとハウスメーカー等大きな会社は施主が求める家づくりをまっとう出来なくなるだろう。
              | とうぎ自身の事 | 18:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ハウスメーカーに勤める-3
              0
                工務課時代

                工務課は実際に家を造る部署。今でも当時の先輩後輩とは連絡を取り合っている。第一住研の工務課は当時どのハウスメーカーよりも優秀だっただろう。仕事は多伎におよび実行予算組、工程表組、墨だし、職人の段取り、現場作業、電話連絡、お客様との調整、支払いまでしていた。

                5年間で引き渡した現場は50棟になり年間に10棟づつ引き渡していたことになるが、人間的にも未熟で建築の何たるかをまだ良く解らない半人前が良くやったなぁと思う反面、お客様は不安もあったのだろうな、と思う。

                施主は大手の会社に注文してるという意識があるのだろうが、ハウスメーカーに頼んでるとはいえ建築の現場において細部の事は現場担当者でしかわからないので実際には監督の力量におう所が多い。ここはあまり知られていないのではないか。いや監督がわかっていればまだよいが、規模が大きいければ大きいほど、会社の人間が知らずして現場が納まる事がある。その時はまさに職人の力量にかかる事になる。
                | とうぎ自身の事 | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ハウスメーカーに勤める-2
                0
                  設計課時代

                  そのハウスメーカーは設計を営業が行っていた。これは設計のクオリティを良くできない大きな原因だったと思う。営業マンは「設計する」事よりも「売る」という事に注力を注がなければいけないからだ。真摯に住宅設計と向き合うという事は、できないはずだった。私の勤続した設計課の仕事とは営業マンが作成したプランを設計課がトレースし、図面に仕上げる作業だった。

                  「なぜ」こういう間取りなのかという設計課思想がそこには無く、仕事は忙しかったが退屈だった。ただし建築法規については常に勉強できたので、建築士(2級)は比較的楽に所得できた。

                  行き帰りの電車の中で過去に出題された問題を解くだけだった。しかも試験当日持ち込んで良い法令集を忘れてしまいその場で新品の法令集を買ったという記憶もある。(席を並べている受験生は皆インデックスを大量につけ、重要な部分に赤線を引きまくっていた。)それで受かってしまったことを今でも自慢しているけれど、偶然と言えなくもなかった。
                  | とうぎ自身の事 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ハウスメーカーに勤める-1
                  0
                    小学生から一気に ハウスメーカー時代 飛びすぎですかね。


                    ハウスメーカーというと知り合いの建築専門家達は アレルギーをおこす人達が大多数だけれど、全部が全部悲観する物ではないと考える。

                    建築専門の大学終了後、大船に本社のある「第一住研」という社員100人程度の会社に入社した。なぜここにしたのかという明確な理由はなかった。しいてあげれば家から近いという理由だろうか。入社後は意に反して新橋の務めでしたがそれでも1時間ほどの通勤時間で苦にはなりませんでした。

                    当初は設計課に配せられ約二年、その後現場に配置がえし合計7年勤めたが、その時の経験はとても有意義だったと今でも思う。
                    | とうぎ自身の事 | 15:14 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
                    小学生の頃の趣味-2
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                      小学生の頃、誕生日のプレゼントに「手品セット」を買ってもらった事も忘れられない出来事でした。簡単なしかし巧妙な手品を見よう見まねでマスターし人に見てもらう事が好きになったのです。見せられる側には迷惑だったと思います。手品という趣味(見るほうが好きです)は中々理解されず、芸人というジャンルの中でも長い間色芸と同じくくりでした。

                      つい最近まで、町内会の敬老の日におじいちゃんおばあちゃん相手にちょろっと演じていましたが、今ではそれも無くなり平和なものです。口からトランプを出す人が一時よくテレビに出ていましたが、彼は私が新橋勤めしていたとき同じ時同じ先生に手品を習った手品友なのです。
                      | とうぎ自身の事 | 15:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |